つるの剛士さんが、保育士試験に挑戦するというツイートを見て、頑張って欲しいなと思った。
数時間後、高卒のため、保育士試験の受験資格がないと嘆きのツイートをしていた。
それを見て思い出した。
私は30歳で離婚した時、子供たちを育ていくため何か資格を取得しようと、保育士を考えた。
けれど、当時の私は高卒で受験資格がなかった、、
1991年卒業の人までは、高卒で受験可能。
私は、、1992年卒業でギリギリ不可能だった、、
経済的、時間的に余裕がなかったので諦めたのだった、、、
当時、いろいろと調べて、社会福祉士、精神保健福祉士など、大学卒でないと、専門学校にさえ入学できないことを知り、厳しいなと思った。
いつか、通信制の大学に入って学びたいと思った。
次女が保育園入園後、1ヶ月以内に就職しないと退園させられるので、ホームヘルパー2級(後に実務者研修を取得)の資格を活かして訪問介護の仕事についた。
実際に仕事を始めると、大変なのこともあったけれど、車で運転する移動時間が息抜きにもなっていた。
実務経験を3年積めば、介護福祉士の受験資格が得られる。
3年経ったら、すぐに受験しようと思っていた。
しかし、、あと数ヶ月というところで、交通事故に遭い、私と長女が怪我をし、次女は亡くなった。
信号で停車中に、書類を見ていて前方不注意だった後続車の運転手にノーブレーキで時速70キロのまま追突された。
その衝撃は、今でも忘れることが出来ず、車を運転するのが怖くなってしまった。
出来れば運転したくないと思っていたけれど、あいぼんとの生活で厳しくなり、ペーパードライバー講習を受け、近隣を運転できるようになっている。
けれど、仕事で乗るのは難しいと思う。
保育士試験を目指したのは、あいぼんや親が保育園や療育施設で保育士さんにお世話になっていて、保育士になるには、どんな勉強をするのだろう?と思ったのがきっかけ。
資格取得できたら、療育施設でボランティアや短時間でも働くことが出来たらいいなと思ったから。
それから、介護福祉士【国家資格】取得できなかった思いを、保育士【国家資格】の取得でリベンジしたい思いが根にはあったのだと思う。
次女の事故の際、刑事裁判で被害者遺族として意見陳述をしたのだけれど、そこでも介護福祉士の取得に向けて頑張っていたと書いていたから。
裁判官は、私の意見陳述をしっかり聞いて下さっていた。
当時の私に言ってあげたい。
事故の後、前を向いて歩いていこうと決めて入学した通信制の大学。
その時に得た学士が、今回の保育士試験の受験資格を満たすことになったよ。
そして保育士試験、一発合格出来たよ。
いろいろあったけれど、頑張って生きてきたね。
だから、これからも大丈夫だよと…
これは、今の自分に言い聞かせている。
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