交通事故に遭い、次女が亡くなった時、現実に起きていることなのに夢を見ているような感覚だった。
朝まで元気に笑っていたのに、もう生きていないってどういうこと?
顔に傷はほとんどなく、微笑んでいるように見えた。
けれども、亡くなった人の体は重く硬く冷たくて。
生まれて初めて抱っこした、柔らかい温かい感覚との違いに、本当に亡くなったんだと、、
その場に立っていられなくなった。
加害者の言動、無保険車に怒り、刑事裁判までは謝罪を述べたり墓参りに行っていたが、民事裁判では、資産はない、まもなく収監される、ないものはないと開き直ってきた。
結局、ないところからは取れない。
事故の後、賠償金たくさんもらえたの?
加害者は交通刑務所に入ったの?
聞いてくる人もいた。
加害者だけでなく、あらゆる方面に怒りでいっぱいになっていたが、諦めに変わり、どっと疲れが出た。
この時点で、心身に不調が出てきた。
怒りの感情はものすごいエネルギーが必要で、疲れ果ててしまった。
シングルで働くことが出来なくなり、収入が途絶えた。
私達の当面の生活を救ってくれたのは、自分が加入していた次女の医療保険から出た死亡保険金と自分の車の任意保険(搭乗者傷害保険)だった。
命と引き換えになったお金で生きていくしかなかった。
納得のいくことなどないけれど、その先も生きていかなければならない、折り合いをつけて。
どうしてこんなことを言っているかというと、刑事事件の被告人側弁護士から再び示談交渉の連絡があったと、弁護士さんから電話があったから。
刑事裁判が間延びになり、疲れたのが本音。
警察、検察庁での調書作成に3日は時間が取られた。
警察では、ダミー人形で再現したり、苦痛なことも逮捕に繋がれば、これ以上被害者が出ないようにとの思いだった。
検察庁では起訴してもらい、裁判で裁いて欲しい思いからだった。
起訴から1年以上、まだ他の被害者の追起訴、審理が続く。
疲れた。
弁護士さんと相談して、自分の気持ちを大事に今後どうすれば良いのか決めようと思う。
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