4回目のカウンセリングへ行った。
今回は、あいぼんの就学相談や困り感の話をした後、特総センターへの行き方の話になった。
特総センターへは電車で行く予定だが、駐車場もあるので車でも行ける。
けれども事故以来、高速道路が運転出来なくなり、知らない道を運転するのも恐怖心がある。
私のやっかいなところは、自分が運転しなくて家族の運転も怖いこと。
バスやタクシーなど職業ドライバーの運転であれば大丈夫。
それは、事故後の手続きがとてつもなく大変だったから。
あんな出来事があったから、仕方ないと思うけれど、以前は片道300キロぐらいなら1人で運転出来ていたのにという思いは消えない。
そして、相手の運転手が無保険だったことへの怒りも消えない。
いつも思っているわけではない。
10対の0の事故、私の保険会社は約款上対応出来ないので、全て自分が処理しなければならなかった。
相手が無保険だったので、弁護士に依頼して手続きをした。
結果、私の方の特約や人身傷害保険、搭乗者傷害保険などで補償がされた。
守ってくれたのは自分が加入していた保険だった。
無保険、支払い能力がない。
ないところからは取れない、それが通る世の中。
突きつけられた現実に苦しくなった。
世間の人の言葉に傷ついた。
子供は亡くなったけれど、保険金沢山もらえたのでしょう?
平気で聞いてくる人もいた。
沢山って?
おそらく想像されている程ない。
どんなに沢山もらえたとしても、生きて帰ってくることはないんだ。
けれども金銭で解決するしかないんだよ。
生きていたら生涯で稼げるだろう賃金(逸失利益)が算出され、そこから生活するのにはお金が必要でしょうということで生活費用が引かれる。
生涯の賃金を一括払いするから、利子は引きますよとライプニッツ係数で計算される。
更にうちの場合、離婚した元夫に半分の相続権があり、そちらのやり取りも本当にしんどかった。
カウンセラーに言われたのが、事故自体の記憶が残るのは当然だと思うが、手続きの記憶が強く残るのは、相当大変だったのですね。
そう、、
相当、大変だった。
刑事的なことも平行してやらなければならなかった。
警察、検察庁、裁判所への問い合わせ、出向く、手続き、、
自分の治療をしながらだった。
普段、生活していていつも事故のことを思っているわけではない。
普通に生活は出来ている。
けれども、今回のきっかけになった【特総センターへの行き方】のように、日常の何気ない出来事で思い出したり怒りの気持ちでいっぱいになったりする。
時と共に形を変えながら、思いも変わっていくのかもしれない。
事故自体の記憶は衝撃が強くて記憶にないのもあるけれど、、
手続きが強く記憶に残ったり、思い出したりするのは、心を守るためなのかもしれない。
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