どんな空でも 自閉症の娘と家族の日常 

自閉症の娘の育児、家族の記録 支援級の5年生です。

カウンセリング37回目〜カウンセラーの涙〜


カウンセリング37回目に行ってきた。

今回は、登校班の件について話した60分だった。

カウンセラーに客観的に見ていただきたくて、登校班のグループLINEや役員さんとのやり取りを読んでもらってから話をした。

言葉は丁寧だけれど、求められている内容は、今の私にはあまりにも過酷だったこと。
そして、ここまで細かく、仕事量も多いとは思っていなかったと話されていた。

役員辞退の件に続き、私の心が折れたのは、児童の並び方についての改善点だった。
詳細は書けないが、私は娘が空気のように扱われていると感じた。

この出来事をきっかけに、個別登校する決心がついた。

たかが登校班で、そこまで思い詰めるのかと思われるかもしれない。
でも、私には無理だった。

毎年入ってくる一年生が、すぐに親と離れて、付き添いなしで登校できる姿を見るたびに、羨ましさとともに、比べてしまう自分がしんどかった。

それだけだと思っていた。

でも本当は、ランドセルを背負うことができなかった、5歳5ヶ月で亡くなった次女の姿を重ねていたことに気づいた。

その話をしながら、私は初めてカウンセラーの前で泣いた。


(6年間使ったお姉ちゃんのランドセルと背負うことの出来なかった次女のランドセル)


そして、事故当日の話をした。

あの日、元気な次女を見た最後は、事故に遭った交差点の二つ手前、信号待ちをしている時だった。

ふと後ろを見ると、次女は窓の外の景色を眺めながら、キロロの「生きてこそ」を口ずさんでいた。

そして、ものすごい衝撃。

長女が「痛い」と泣き叫び、次女を見るとぐったりしていた。
眠っている時とは全く違うその様子を見て、私は直感的に「もう無理なんだ」と思った。

亡くなった後、病院から連れて帰る時に抱き上げようとすると、死後硬直が始まっていて、重く、硬く、冷たかった。

生まれて初めて抱っこした時の、柔らかくて温かいぬくもりを思い出し、その違いにどうしようもない気持ちになった。

その話をしている時、カウンセラーを見ると、涙ぐんでいた。

10年前に初めて会い、4年前に再び通い始めてから、初めてのことだった。

カウンセラーはこう話してくれた。

2016年に初めて会った時、
「みかんさんは、どうやって今まで生きてこられたのだろう」と思ったこと。
これだけの出来事を抱えながら、淡々と話していることに驚いたこと。

そしてその後、主治医による犯罪被害。
さらに、あいぼんの障害。

それでも、変わらず淡々と話していたこと。

前にも言われたが、私が経験していることは、どれか一つでもあれば人が壊れてしまうことがあるものだそうだ。

それなのに私は、いくつも抱えながら、ずっと淡々としていた。

でも今回、初めて泣いたことで、これまで蓋をしていたものが表に出てきたのだと思う。

「今は少し危ない状態かもしれない。これからは、自分の心身のことを一番に考えて行動してください」

そう言われた。

さらに、

「次の精神科の診察はいつですか?
少しでも調子が悪いと感じたら、迷わず受診してくださいね」

こんなふうに言われたのは初めてだった。

エアロバイクをする気力がないこと。
ブログの言葉が出てこないこと。

それを話したからかもしれない。

次回は約1ヶ月後の予定。


(カウンセリングの帰りに食べたハンバーグ。この日の夕食もハンバーグの準備をしていたのを忘れていた)



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