次女の命日が近く気持ちがざわざわする。
これは何年経っても続くものだろうと思う。
次女の存在を知っている人がいない現実に、虚しさを感じる。
(姉妹の長靴、ピンクが次女の長靴)
事故の数年後、今の所に引っ越ししたので、次女のことは誰も知らない。
それが気楽な面もあるが、寂しさを感じる。
今知り合った人は、我が家は4人家族と思う。
その通りなんだけれど、、
本当は5人家族なんだ。
もう一人娘がいたんだと、語りたくなることがある。
誰かに次女の話しを負担のない程度ですることで、次女の存在を知ってもらうようにしたら、何だか心がほっこりした。
例えば、あいぼんの支援級担任の先生に、連絡帳で、あいぼんは三姉妹でもう一人姉がいることなど。
強引にではなく話の流れで。
先生は
【あいぼんさんに、もう一人お姉さんがいたのですね。
びっくりしました。】と。
知っている人に、そう言ってもらえると、次女は確かに生きていたんだと感じられて嬉しい。
16年経っても、誰かに語りたくなる私の思いは、中々、わかってもらえないだろうけれど。
子供との死別は、祖父母、親が亡くなったのとは違う。
事故の後に
わかります。私も最近祖母を病気で亡くしたので…と言われたり…
いや、、あなたそれは順番でしょう。
病気なら多少なり心づもりもあったでしょうに…と思った。
心配して声をかけてくれたのかもしれない。
小さな子供の葬儀は、壮絶な時間なんだよ。
小さな棺、きれいな小さな骨、骨壷。
お年寄りの時には、多少なりとも和やかな雰囲気もあるでしょう…
私は、火葬場の扉が閉まる瞬間を忘れられない。
ご遺族の方で、講演をされている方も多く、辛い話しを大勢の前で話せてすごいなぁ、私には出来ないと思っていた。
もしかすると、ご遺族の方々は講演で多くの人々に話すことで、亡くなったご家族の存在を知って欲しい…
そんな思いもあるのかもしれないと思うようになった。
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