大和田美帆さんのブログを読んで。
コロナにより亡くなった岡江久美子さんとの別れ…
大和田美帆さんのブログより
死顔を見ること、
家族で泣き合うこと、
葬儀をすること、
弔問に来てくださる方に直接ご挨拶すること。
それらすべてが
残された者にとって気持ちを整理する大切な儀式なのだと気づかされます。
この文章に込められてた思い、本当にその通りだと思う。
私の次女は、事故発生から約14時間後に亡くなった。
(事故現場、同じ交差点で亡くなられた方のご遺族がお地蔵さまを建てられたそう)
もう何が何だかわからないまま、、亡くなった。
私達も同じ病院に搬送されたのだけど
集中治療室で治療中の次女に会えたのも、事故から5、6時間は過ぎていた。
きれいな顔で、本当に眠っているようで、、
医師の説明と、人工呼吸器の空気を取り込む音だけが病室に響いていた。
紙おむつなど、入院に必要な揃えに1度自宅へ戻った。
多数の携帯の着信履歴…
ニュースを見たという、職場の方や次女が通う保育園、お姉ちゃんの通う小学校の先生、、
そのやり取りに追われていた。
そして、病院からもう山なのでと電話があり、、
しばらくして次女は息を引き取った。
警察官が2名来て、、敬礼された。
また後日、お話を伺いたいので、、と言われた。
その後、実家の車で家に連れて帰った。
その頃には、もう身体が冷たく硬くなっていて、、
抱き抱えるのも、自分で支えることが出来ないので、ものすごく重かった。
車の中で、次女が生まれてきて初めて抱っこした時の柔らかく温かい感触を思い出していた。
人が生まれてきて、亡くなっていくということはこういうことなのかと…
バタバタと葬儀の準備を進めていき、まだ家にいる時に、私の職場の上司の方々、保育園の先生方がお別れに来て下さった。
日曜日のお通夜ということもあり、保育園の先生、調理室の方も全員参列して下さった。
私は当時、シングルマザーで人手が足りないだろと葬儀の受付など、職場の上司がやって下さった。
お姉ちゃんの小学校の校長先生、担任の先生も…来て下さった。
小中学校の同級生は、大阪から駆けつけてくれた。
小さな棺に眠る次女を見て眠ったお通夜の後。
火葬場で鉄の扉が閉まった時のこと。
小さな骨を、小さな骨壺に入れたこと。
その時は、自分の身に起きていることなのに、別世界のようで、悲しみとか何も感じられなかったけれど…
四十九日を過ぎた頃、少しずつ現実と向き合えるようになっていった。
それは、突然の死別ではあったけれど、最期のお別れをしっかりすることが出来たからだと思う。
葬儀のこと、もっとこんな風にしてあげてば良かったかな?と、色々思うことはあったけれど、あの時の精一杯だったと、今は思う。
保育園の園長先生と担任の先生の
「ななちゃん、起きてよ!」という泣き声は、今でも鮮明に覚えている。
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