どんな空でも 自閉症の娘と家族の日常 

自閉症の娘の育児、家族の記録 支援級の2年生です。

池袋の暴走事故と私達の事故の後のこと

4月下旬に池袋で起きた、高齢者による暴走事故。

ご遺族が署名活動をされている。
微力ながら、我が家も署名させていただいた。



池袋暴走事故 夫「慟哭手記」 「二人に会えて幸せだったよ」【全文公開】(文春オンライン) - Yahoo!ニュース


この記事を読んで、、いろいろ感じることがあった。
無料にしたらいいのにな…




セミの抜け殻)


人はいつかは亡くなる。

けれど、、

元気だった家族、親しい人が、突然にこの世を去る。

言葉では言い表せない苦しみがある。




遺族として私が経験したこと


百か日が過ぎた頃。

葬儀関連のことがひと段落し、まわりのことが気になり始めていた。

加害者は、これからどうなるのだろうか?


私達の事故発生 → 12月16日
次女が亡くなり、私と長女も怪我をした。

警察署にて被害者遺族の事情聴取 → 翌年2月下旬

3月中、警察署に問い合わせ → 検察庁書類送検されたら連絡がもらえるようお願いした。

6月下旬 → 警察署より電話。加害者が書類送検された。

7月初旬 → 検察庁に電話、副検事に面会の申し入れ。

7月下旬 → 副検事と面会、刑事裁判で意見陳述したいと伝える。

8月中 → 検察庁より、被疑者を起訴、公判日程の連絡が封書で送られてきた。

9月中 → 地方裁判所にて、公判。
意見陳述をした。
求刑 禁錮1年6か月。

10月下旬 → 判決 禁錮1年の実刑判決。

被告人が控訴。

高等検察庁、検事に連絡。
処罰感情を伝え、書面を送る。

12月中旬 → 名古屋高等裁判所にて、控訴審
当日、被告人が控訴取り下げをし結審。
裁判所に被告人現れず。

翌年1月 → 被告人、刑務所に収監。


このような流れだった。


判決まで事故から約1年かかった。


交通事故で被害者が亡くなった場合でも、不起訴、略式裁判で罰金刑のみの場合は多い。

裁判が開かれても執行猶予付き判決は、非常に多い。


我が家の場合、私が信号のある交差点で信号待ちしていたこと。

被告人が任意保険に未加入だったこと。

この2つが、実刑になった理由。


任意保険に加入している場合、減刑の理由になることには驚いた。


お気づきの方もいらっしゃると思うが、遺族が問い合わせして聞かないと、加害者の処遇は知らされない。

当時は…

最愛の家族が亡くなり、悲しみに暮れる時間もなく動かなくてはならない。


池袋の被害者のご主人を画面越しに見ていて、無理しているのではと心配に思う。

無理しないとどうしようもない現状なのでしょうが、、、



私は事故から3、4か月経った頃、とても無理をしていた。

心と身体は悲鳴を上げているけれど、気付かず、気力だけで動いていたから。

裁判が終わり、しばらくして燃え尽きてしまった。

どんな結果になっても、どんなに頑張っても、次女が生きて帰って来ることはない現実。

やり場のない思いを抱えて、どう生きていけばよいかわからなくなってしまった。


楽しいことを楽しいと感じ、美味しい物を食べて美味しいと感じる。

笑って暮らせるようになるまでに、かなりの年月がかかったから。






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